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Poetry Performance








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Special Thanks


Tokyo White Night Flight – Poetry Performance
Poetry Performance: Haku Kato
Direction: Thierry Thieû Niang
Curated by: Lucien Zayan
Critical Text by: Nozomu Hiraoka
Photography: Yota Suda
Event: NAFAS Tokyo
Venue: BUoY, Tokyo
Year: 2026
Criticism
「救われた舌 – 加藤白 朗読パフォーマンスによせて」
グラスの触れ合う音、談笑、咳。1961年に、ニューヨークのジャズクラブ「ヴィレッジ・ヴァンガード」で録音されたというビル・エヴァンス・トリオの名盤『Waltz for Debby』からは節度と余裕ある聴衆の存在までも感じ取れるが、加藤白の朗読をもし録音していたならば、同じようなざわめきが封じ込められたかもしれない。
北千住のアートスペース・BUoY(ブイ)。「下は大火事、上は洪水」ならぬ下は銭湯、上はボーリング場[1]だった2階はカフェに生まれ変わっており、コンクリート打ちっぱなしの広い店内で憩う人々の向こうには、白壁の展示スペースが続いている。その狭間に寄る辺なく辿り着いた加藤は、私たちを手招きした。すでに彼は、第1詩集『東京白夜飛行』の劈頭を飾る『白鳥の街』と、『直線と窓』を朗唱していた。点々と移動しながら。その歩みによって、観客の視線を誘導した窓の先の、乳白色の空を削いだような薄い紙片を数枚携えながら。
「大きな声で読まれると言ったのは、本当に素晴らしい、見事な詩歌を読むとき、私たちは大きな声でそうする傾向があるからです。見事な詩歌というものは、小さな声で読んだり黙読することを許しません。それができるとすれば、有効な詩句ではない。つまり詩歌は発音される必要があるのです。詩歌はそれが書かれた芸術である以前に口誦芸術であったこと、曲(カント)であったことを常に思い起こさせます。」[2]
加藤自身の肉声で「曲(カント)」に復元された詩句は、おそらくそれが響いていたであろう、詩人の脳内へとカフェを近づけていく。詩を書くとは、頭蓋の内外でさざめく雑多な声の中から、注意深く詩のささやきを拾い上げていく営みなのだろう。
展示室とカフェとを半ば隔てる壁を右手に、スツールへ腰掛けた加藤の声はそれだけでより親密な響きを帯び、そんな彼を要として、私たち鑑賞者は扇形になった。「手詰まりの希望/聖者は行進をする」[3]と言い放った加藤はここで、“行進” に加わる者と留まる者とを選別したのかもしれず、列席を望んだ私たちはある儀式を目にした。彼は朗読を終えるとスツールの上に立ち、詩句が刻まれていない最後の紙片の角を、大ぶりな蝶の片翅ほどにちぎり取り、食んだ。「静寂に包まれた/自然も主も真似事も供犠も」[4]の残滓がまだ響く中で執り行われたそれは、まさしく束の間の供犠だったのかもしれず、
「供犠はある一つの物=客体を従属関係へと縛りつける現実的な絆を破壊する。つまり生贄を有用性の世界から引き剥がして、知的な理解を絶するような気まぐれの世界へと戻すのである。」[5]
言葉という「生贄を有用性の世界から引き剥がして、知的な理解を絶するような気まぐれの世界へと戻す」試みとしての詩作。その印象を残して去った加藤は、
「争いには点があって平和には線がある
争いには熱があって平和には無がある」[7]
およそ30分後、展示室内に舞い戻った。今度はハーメルンの笛吹き男というより、牧羊犬のように私たちを追い立てながら。そのとき、彼は『終わりと始まり』と題した自作を口ずさみながら、連を言い終えるたびに2歩、壁際を横歩きした。点と線を体現するようなその動きが、月にかかる叢雲のごとく壁の絵画を隠しては現し、
「誰かが瓦礫を道端に
押しやらなければならない
死体をいっぱい積んだ
荷車が通れるように」[8]
そんな加藤と、彼を見つめる私たちは、カフェと展示室とを結ぶ道を成していた。ヴィスワヴァ・シンボルスカによる同名の詩の一節みたいな。
そこから加藤が向かったのは展示室の奥、家族での食事風景が描かれた絵画の前だ。そして傍らに宅配ピザを模した立体作品が床積みされたここは、今さらながら『NAFAS TOKYO 2026』という食をまつわるアートフェスティバルの会場であり、加藤の朗読パフォーマンスもその一環として開催された。「『nafas』とは、アラビア語で『息』や『精神』を意味する言葉だが、料理について使われるとき、レシピや技術には還元できない、作り手の気配や精神が料理に宿ることを指す」[9]ようだが、詩人にとっての朗読もまた、己の息と、舌と、歯で精神を濾し、その精髄たる詩を聴衆に饗する。そんな痛みを伴う営為であり、
「苦痛の継続が基本的ノルマであるような日常社会において、詩は、すなわち優しさの発露は、いったいいかなる出生地を持ちうるのだろうか。」[10]
私たちはつまり、詩が生まれなおす瞬間に立ち会っていたのだろう。
〈了〉
注
タイトルは、エリアス・カネッティ/著,岩田行一/訳『救われた舌: ある青春の物語』(法政大学出版局)による。
なお、引用したURLの最終閲覧日は、すべて2026年9月18日である。
[1]cf., https://buoy.or.jp/about/
[2]J・L・ボルヘス/著,野谷文昭/訳『七つの夜』岩波文庫,p.14
[3]加藤白「Lenticular」『東京白夜飛行』Unagi Room,p.36
[4]同上
[5]ジョルジュ・バタイユ/著,湯浅博雄/訳『宗教の理論』ちくま学芸文庫,p.55
[6]「白妙」『東京白夜飛行』p.28
[7]「終わりと始まり」『東京白夜飛行』p.26
[8]ヴィスワヴァ・シンボルスカ/著,沼野充義/訳『終わりと始まり』未知谷,pp.18-19
[9]名古摩耶『食から問い直す、人間と世界の関係──「NAFAS TOKYO 2026」【EDITOR’S NOTES】』ARTnews JAPAN
https://artnewsjapan.com/article/86942
[10]今福龍太『群島-世界論[パルティータⅡ]』水声社,p.383
平岡希望 – 加藤白 詩集「東京白夜飛行」朗読 評
NAFAS Tokyo, BUoY, Tokyo, 2026
原文掲載:note
